旅の感想、1分間(第60日目)2011/03/06 22:18

夕食のときに旅の感想を話し合った。
各自感想を1分で述べると以下のとおり。

妻「あまり旅行をしているという感じがしなかった。風景は北海道に似ているし、期間も長かったので、旅行をしているというよりも住んでいる感じだった。
村上春樹が外国を何年か旅行したときに、旅行者と住人の中間みたいに感じたと書いていたけれど、その気持ちが少しわかったような気がする。
そして、人々は素朴でとても親切だった。」

私「よしさん(妻)の感想とかなりだぶる。旅行というよりも移動生活という感じだった。人々の素朴さも同じように感じた。それに物を大事にする国だと随所で感じた。ただ日が暮れるのが遅すぎて星空観察がしずらかったのが少々残念。」

息子「うん、僕も日本にいたような感じだったよ。日本人も2人いたし、スーパーにカップラーメンやハイチュウもあったし。」
(妻や私の感想に影響され真似して言ったようだが、理由が6歳児らしく根拠薄弱である。)
息子「楽しかったこと?パズルワールドに行ったことかなぁ、うーん、ほかのことは思い出せないなぁ。」
(既に海で遊んだことや釣りをしたことは忘れている。)

牧場の朝(第61日目)2011/03/07 20:46

昨晩も牧場(Happy Valley Farmstay)に泊まった。
昨日の朝は曇っていたが、今朝は快晴。

牧場の牛たちは朝もやの中にすっぽりと埋まっていた。

チェックアウトのため鍵を返そうと母屋に行ったところ、ロイさんが日本にいた頃(1946-1948)の写真を見せてくれた。
当時若干17歳のロイさんがスーツを着て若い日本女性と一緒に写っている。古い写真だが大事に取っておいたのだろう、それほど色褪せずに鮮明な写真だった。

その日本女性は当時のガールフレンドだという。
昨日ロイさんは誰かの名前を挙げ、自分の心にまだ残っていると身振りで説明してくれたのだが、私はてっきり日本の歌手のことと勘違いしていた。
ロイさんが挙げた名前は付き合っていた女性の名前(「クスノキ・ウタコ」さん)だったのだ。

クスノキ・ウタコさんはこのブログを見るべくもないが、できることなら伝えてあげたい。
「ウタコさん、六十数年たってもロイさんの心の中で貴女の思い出は生き続けていますよ。」

巨木(第61日目)2011/03/07 23:10

最近は観光地にいても観光らしいことをほとんどしていなかったが、今日はカウリの巨木を見に行った。

カウリとはニュージーランド北島北部に生育する樹木で、かつてはたくさんの巨木が存在していたのだが、西洋人の入植以降多くは伐採されて
しまったという。
今日見に行ったのはカウリの保護地区にあるタネ・マフタという巨木。
樹齢2000年、高さ50mという巨木である。

ニュージーランドは自然にあふれているとはいうが、西洋人の入植以降、カウリに限らず当時の自然はかなり破壊されて今に至るようである。

カウリ博物館(第62日目)2011/03/08 21:52

昨日泊まったMatakoheはカウリ博物館の隣。
さすがに博物館を素通りすることはできず、1時間ほど博物館でカウリの伐採の歴史を勉強した。

昨日見たタネ・マフタという巨木などほんのひよっこといわんばかりの大木がいっぱいあったが、ほとんどが伐採されてしまったとのこと。
まあ環境保護も何も無い時代のこと、仕方がないともいえよう。

博物館を出ると11時。
いよいよ旅の最終目的地オークランドに向かった。

旅の行程(第62日目)2011/03/08 22:54

長いと思っていた旅も明日には日本に帰国。
この旅の行程を振り返ってみよう。(括弧内は宿泊数)

Auckland(1)→Taupo(3)→Rotorua(2)→Auckland(2)→以後キャンピングカー→Christchurch(2)→Timaru(2)→Tekapo(1)→Glentanner(3)→Queenstown(2)→Te Anau(3)→Wanaka(2)→Haast(1)→Fox Glacier(1)→Hokitika(1)→Muchison(2)→Nelson(1)→Pohara(3)→Picton(1)→Paekakariki(1)→Wanganui(2)→New Plymouth(3)→Ohope(4)→Rotorua(3)→Waihi(3)→Waipe(1)→Whatuwhiwhi(4)→Russell(3)→Umawera(2)→Matakohe(1)→Auckland(1)

キャンプ場が48泊、それ以外(モーテル等)が13泊だ。
キャンピングカーを借りてからだと、53泊中48泊はキャンプ場に泊まったことになる。
最後の方はもう疲れてしまいほとんどキャンプ場内の部屋に泊まっていたが、ともかくもキャンプ場を泊まり歩いた旅だった。

泊まった町は延べ30ヶ所(重複を除くと28ヶ所)、移動回数は29回に及ぶ。(頑張る必要もないが)よく頑張ったといえるのではないだろうか。

反省点としては、妻の指摘どおり、キャンピングカーが少し小さかった。
1年半前の豪州半縦断の旅のときと同じ大きさではあったが、息子の成長(4歳→6歳)、キャンピングカーでの旅の長さ(2週間→7週間)を考えるともっと大きなキャンピングカーを借りていればよかったと思う。
また、キャンピングカーが大きかったとしても車上生活は精神的にも肉体的にもかなり負担になるので、車上生活は2~3週間が適当かとも思う。

つまり、2~3週間は大きめのキャンピングカーを借りて車上生活をし、残りの期間は普通車にテントを積み気が向いたときにテントを張る、今思えばこれが最良のスタイルだった。
次回の旅(いつのことだい?)に生かしたいと思う。

旅の終わる前に(第62日目)2011/03/08 23:56

明日で旅が終わる前に、旅のパートナーである妻と息子に一言。

妻へ:

今回の旅も体があまり強くない君には随分と負担をかけてしまった。
無頓着な私にいらいらしたことも多かっただろう、申し訳ないと思っている。

こんな私の自己満足のような旅に付き合ってくれてありがとう。
そして皆の健康のために野菜料理をいっぱい作ってくれてありがとう。
皆が健康に旅行できたのも君のおかげだ。

アンティークの店をのぞいたりして少しは楽しいこともあったのではなかろうか。
そして、家族3人がこうも濃密に接する2ヶ月も貴重なものだったのではなかろうか。
きっとああいう旅もよかったわと振り返ってくれると信じてます。
これに懲りずにまたユニークな旅をしよう!

息子へ:

最初は熱を出して寝込んでしまったけれど、その後は元気、元気でたいしたもんだった。
いたずらをして怒られたことも多かったけれど、お手伝いをいっぱいしてくれて、偉かったよ。
トランプで負けてもたまにしか泣かなくなったのも大きな成長だ。

このブログはお父さんが自分のために忘れないように書いただけでなく、君が大きくなったときに読んで思い出してくれたらと思って書いたんだ。だから大きくなったら読んでおくれ。
4月からは小学生。山梨の地で一緒に思い切り遊ぼうぜ!


明日は4時起き、もう寝よう。。。。

旅の一番(第63日目:最終日)2011/03/09 14:07

旅の一番をまとめてみた。

・リクエスト曲(車中)
なお:具志堅ファミリー「ありがとうのうた」
よし:中島みゆき「空と君のあいだに」
ひで:高中正義「レディトゥフライ」

・トランプ選手権優勝回数
17回(なお・ひで同点優勝)

・面白い地名
ひで:Whakatane(ワカタネ:わかったね)
なお:Papakowhai(パパコーハイ:パパ後輩)
よし:Kerikri(ケリケリ:蹴り蹴り)

・好きなキャンプ場
なお:オホペ
よし:グレンタナー
ひで:ワトゥウィウィ

・楽しかったこと
なお:トランプ選手権
よし:サーカス
ひで:夕焼け

・美味しかったもの
なお:フライドポテト(チップス)
よし:ミートパイ
ひで:牛肉(ステーキ)

・つらかったこと
なお:お父さんに怒られた
よし:キャンプ場が寒かった
ひで:旅行そのものを否定された

・記憶に残った町
なお:オークランド
よし:ロトルア
ひで:ポハラ

・面白かった店
なお:おもちゃ屋さん(ロトルア)
よし:アンティーク(マーチソン)
ひで:スーパーマーケット

・面白かったテレビ番組
なお:シンプソンズ
よし:世界ダンス選手権
ひで:クリケット

・釣れた大きな魚
スナッパー(なお:35cm)

・よく食べたもの
フライドポテト(チップス)

・美味しかったテイクアウェイ
なお:チキン(ワイプ)
よし:チャーハン(ワイプ)
ひで:チャーハン(ワカタネ)

・よく食べた日本食
カレー(3回)

・美味しかったお菓子
なお:ヨーグルトチョコ
よし:クッキー(ショートブレッド)
ひで:ライスクラッカー(ウールワース・ホームメイド)

・続いたこと
トランプ選手権(48日間連続)

・各賞
最高元気賞:なお
最高殊勲賞:よし
敢闘賞:ひで

旅の終わりに(第63日目:最終日)2011/03/09 17:14

成田空港に向かう機中でこの文章を書いている。

ニュージーランドを2ヶ月かけて回ったわけだが、ようやく旅慣れてきたところで旅が終わってしまう。
ニュージーランド一周できるようなつもりで来たが、小さな国(日本の国土の3/4)とはいえそんな簡単に一周などできるものではない。
もし一周するのなら2~3年は必要ではなかろうか。これが正直な気持ちである。
私たち家族はニュージーランドのごくごく一部を覗いてきただけだった。

そんなごくごく一部の周遊だが、ニュージーランドの印象は以下のとおり。
土地に関しては、全国に北海道が点在しているような感じだ。昨日もキャンピングカーを返しに行ったが、オークランドから30~40分で周囲はもう北海道状態になってしまう。
どこに行っても風光明媚、目を見張る風景が広がっていた。
では人はというと、大都市(オークランド)にほとんど滞在していなかったこともあるだろうが、とても素朴で親切な人々だった。
あまり英語もできないアジア人が旅行をしているとそれなりに嫌な思いをすることがあるのだが、ニュージーランドではそうした思いをすることがほとんど無かった。
欧米人に混ざってマオリ系やアジア系がそれなりの比率を占めているので、アジア人(日本人)には居心地によい場所のように思う。
ニュージーランドはリピーターの多い国と言われているようだが、人々の人当たりのよさがその一因になっているのだろう。
ただ、カティカティで知り合った老人(デレクさん)が最近は犯罪が増えたと嘆いていたように、もちろんよいことばかりではないようだ。

さて、そんなよい土地、よい人々の国を家族3人で回ったのだが、アクシデントもいろいろあった。家族内の紛争(?)もそれなりに勃発した。
やはり旅も長くなると疲れやストレスが溜まるので家庭内の紛争も起こるべくして起きたといえようか。
家族の絆が強まったかについてはよくわからないが、家族3人がこれだけ濃密に寄り添うように生活した2ヶ月はなかなか得がたい経験ではなかったろうか。
どうも遠まわしの言い方になってしまったが、一言でいえば、私はこんな旅も楽しかったと言いたいのだ。

長い長いと思っていた旅ももうすぐ終わる。
旅の終わりはいつでも寂しいものだ。

旅は人生に似ていると思う。
どちらも計画を立てても思い通りに進まない点。
どちらも意味がありそうだが、意味などを考え始めると面白くなくなって苦しくなってしまう点。
どちらもまだまだと思っていても必ず終わりがくる点。

違う点は、、旅の終わりは自分で決められるが、人生の終わりは自分で決められない点。
でもいつ終わるかわからないから人生は面白いともいえる。

私事だが(このブログは全て私事だが)、昨年末に長年勤めた会社を退職し、フリーの身となった。
これからは全て、いや、今までより多くのことを自分で決められる反面、それがそっくり自分に跳ね返ってくる。

会社員時代何かの講習会である講師が、人生の目的は自分の魂が喜ぶことをすることだ、と言っていた。
周りの同僚の多くはおかしなことを言う講師だなぁと聞いていたようだが、私にはピンとくるものがあった。
輪廻転生などという難しいことを言うつもりはないが、魂は生き続けるような気がしてならない。
またそう考えた方が人生は楽になる。

今後の人生で自分の魂が喜ぶようなことを真面目に地道に、そして楽しく追求していきたいと思う。
そのヒントをこの旅で得たような気がする。

帰国して10日もすると山梨県に引越しだ。
新しい旅がまた始まる。

(クライストチャーチ地震で犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りします。)

卒園式2011/03/19 21:57

今日は息子の卒園式だった。

3歳のときから約3年お世話になった。
私は幼稚園がいやで途中しばらく休んでしまったくらいだが、息子は楽しい楽しいと存分に園生活を楽しんだようだ。
私よりも順応力があるのかもしれない。

そんな保育園も今日で終わり。

大地震の余波収まらない時期だが、楽しいながらもお母さん方は涙、涙の卒園式だった。

引越2011/03/22 22:16

ニュージーランドから帰国したあと、大地震が発生した。

生まれて初めてといってよい混乱の中、税金の確定申告、息子の卒園式、引越準備と慌ただしい日々が続いていた。

引越は22日と決まっていたが、ガソリン不足と計画停電で引越が予定通りできるのかも怪しい状況となった。
引越は朝8時からの予定だが、住居地の停電予定時刻は何と朝6時20分から10時(その間の3時間)である。エレベーターが使えないわけだが、果たして引越ができるのだろうか。

そんな不安の中、昨日(21日)の夕方になり、東電は早朝(6時20分から10時)の停電を行わないことを発表。
どうやら引越はできそうである。

そして今日、無事山梨県北杜市小淵沢町に引越をした。
ただ、こちらは午後3時半から停電が始まった。

暗闇の中、近くのスーパーで買ってきた弁当を食べる。
侘しさもあるがキャンプのようで息子は楽しそうだ。

ともかくも今日から私たち家族の山梨の日々が始まった。
ああ、今日は私の○○回目の誕生日。
記憶に残る誕生日となった。