シングルファーザー2008/06/03 18:35

妻が一人でソウルを旅してきた。
日曜日の朝に家を出て、帰ってきたのは火曜日の夜だから、3日間のシングルファーザー生活である。3日間といってもずっと一緒にいるのは日曜日だけで、月曜日と火曜日は保育園があるからそれほど大変ではない。

半年くらい前にも母親が北海道を旅して3日間家を空けたが、当時に比べだいぶいろいろなことがわかるようになってきた息子がどのような反応、対応をするのかに興味があった。
2、3日前に「お母さんはお仕事に行って、2回寝んねしたら帰ってくる。」と話したところ、最初はいやだと言っていたが、すぐに2回寝んねすればいいと納得した様子。さほど気にならないようである。

当日も母親が出かけるときに駄々をこねるわけでもなく、あっさりしたものだ。折にふれ私がわざと「お母さんは今頃どうしているかなぁ。」と話しかけてもさほど興味が無い様子。
3歳児にしてはしっかりしたもんだと少々感心した。

母親がいないと息子は意外と素直だとこのブログに何度も書いているが、今回は一度だけ大泣きする場面があった。
月曜日に保育園に迎えに行ったのだが何やら反抗的。先生に挨拶をしようと言っても無視するし、保育園の入口にある本を何冊読んでもなかなか帰ろうとしない。
本屋に行くことを条件にようやく帰路についたが、宮前平駅の本屋では納得せず「バスに乗ったときに見た本屋さんに行きたい」とわけのわからない要求をする。
ともかくも駅の本屋で遊んだあと、弁当を買いに行こうと声をかけたが、自分は何も食べないから買いに行かないと主張する。なだめすかして弁当屋(オリジン弁当)に行ったが、ここでも言うことをきかない。
この弁当屋は好きなサラダを自分で容器に取るのだが、欲しいというサラダを取ってやっても、今度はあのサラダがいい、あの弁当がいいとわがまま放題。挙句の果てにせっかく容器に入れたサラダをお盆から落としてしまった。

さすがの私もついに切れてしまった。勘定を終えて店を出て息子に怒鳴った。「そんな悪い子はもう帰らなくていい」と息子を置いて歩き始めた。息子はひぇーんと泣き出し、泣きながらも私の後を追ってくる。今日の私は簡単には許す気になれず、一度立ち止まって、今日の息子の悪い点(言うことをきかなかった点)を一つ一つ挙げて、「だからお父さんは怒っているんだ」と再び歩き始める。
怒る父親から2mほど離れて泣きじゃくりながら追いかける3歳児。周囲の好奇の視線を浴びながらようやく家に到着した。

涙と鼻水でぐしゃぐしゃの息子。どうしたもんかと思ったが、珍しく自分から「うぇーん、ごめんなしゃーい」と謝ってきた。本当に悪いと思っているのかと聞くと、うんと答える息子。親子喧嘩?はおしまいとなった。

この件以外はほとんど泣くこともなく、いつもながらの元気いっぱいの息子であった。

羽田空港からのバスが着くたまぷらーざに出迎えに行ったが、お母さんを見つけたときの息子の嬉しそうな顔といったらなかった。
宮前平に向かう車中で聞いてみた。
私「おかさんが帰ってきてよかったね。」
息子「うん、よかった。」
私「でも、おとさんと一緒のときも楽しかったよね。」
息子「うん、楽しかったよ。」
ちょっと誘導尋問気味ではあるが、父子水入らずの3日間も楽しかったようである。

時代の弊害2008/06/15 21:23

6月8日に秋葉原で無差別通り魔事件で7人が死亡した。犯人はいわゆるオタク系の25歳の男性。

何故この若者がこうした犯罪に走ったのか、世間では犯罪学者、社会学者、心理学者らがいろいろと分析をしている。
いろいろな原因が複雑に絡み合っているのだろうが、世間一般で一番強調されているのが派遣社員の夢の持てない厳しい現状だ。もちろんそれは改善を要する状況だとは思うが、昔の日本だって将来に希望の持てないつらい時代は何度もあったはずだ。問題の核心は、厳しい状況に耐えられず切れてしまう人々の心(意識)にあると思う。もっと簡単に言えば、昔に比べて我慢ができなくなったということだ。

そんなふうに切れやすい社会に不安を感じる私だが、子育てをしていてあることがその一因ではないかと最近痛感することがある。
それは何かというと、ビデオである。
ビデオの無い私の子供時代、子供は週1回のテレビ番組をそれはそれは楽しみにしていたものだ。私の大好きは番組は「おそ松くん」。週に1回だけ30分の放送だったので、その時間がくるとテレビを食い入るように見つめたものだ。そして番組が終わると、あと1週間我慢の子である。
こんな習慣が自然自然に子供たちを辛抱強くしてくれたような気がしてならない。

それに対して我が息子。何のビデオでもいつでも何度でも見れてしまう。真剣に見ているようで、実はいつでも見れるさという甘えがあるに違いない。
その眼差しの真剣さは当時の私には適うまい。

でも良いも悪いも今はこういう時代になってしまった。ビデオは何度でも見れると知ってしまった息子にどう対したらよいのだろうか。もちろん一日に見せる時間はある程度決めていて、それなりに厳しくしているつもりだ。
しかし根本的な部分(ビデオはいつでも何度でも見れる)は変わらない。
どうしたもんかと悩んでいる今日この頃である。

追悼2008/06/24 19:32

今日は真面目な話。

ゴルフ仲間のK君が40歳の若さで21日(土)に急逝した。今日は彼の告別式だった。
彼は子供好きで3人の子供がいた。(10歳長女、9歳次女、4歳長男)
以前彼に「僕は1人の子育てでもたいへんなのに、君は3人もすごいねぇ。」と言ったところ、彼は「でも子供は可愛いですからねぇ。」とはにかみながら言ったのが記憶に残っている。

つい3週間前に一緒にゴルフをしたK君。急死の連絡を受けても現実味が沸かなかったが、棺に入っているK君を見て、ああ彼は本当に死んでしまったのだ、と実感した。控えめでおっとりしているがなかなかのファイトマンだったK君。
思い残すことは多かっただろう。ただただ安らかに眠ることを祈るのみである。

棺に入ったお父さんを見て最後のお別れで泣きじゃくる子供たちが参列者の涙を誘った。
上の子供(10歳、9歳)と下の子供(4歳)ではどちらが可哀想なのだろうかとふと思った。最初は上の子供の方が死の意味がわかるだけに可哀想だと思ったが、いや下の子供の方が可哀想なのではないかと思い直した。上の子供はお父さんの思い出というかけがえのない宝物を持ち続けられるが、下の子供にはそれがない。。。

ウチの息子は今3歳。私だっていつ何が起こるかわからない。せめて息子が父の記憶をしっかり持てるようになるまでは、などと思ってしまう。

最後の挨拶でK君の長女が泣きながら手紙を読んだ。「お父さんと約束したとおり中学生になったらソフトボール部に入ってレギュラーになります。」
私も子供にしっかりとした目標を持たせられる父親になりたいと思う。