時代の弊害2008/06/15 21:23

6月8日に秋葉原で無差別通り魔事件で7人が死亡した。犯人はいわゆるオタク系の25歳の男性。

何故この若者がこうした犯罪に走ったのか、世間では犯罪学者、社会学者、心理学者らがいろいろと分析をしている。
いろいろな原因が複雑に絡み合っているのだろうが、世間一般で一番強調されているのが派遣社員の夢の持てない厳しい現状だ。もちろんそれは改善を要する状況だとは思うが、昔の日本だって将来に希望の持てないつらい時代は何度もあったはずだ。問題の核心は、厳しい状況に耐えられず切れてしまう人々の心(意識)にあると思う。もっと簡単に言えば、昔に比べて我慢ができなくなったということだ。

そんなふうに切れやすい社会に不安を感じる私だが、子育てをしていてあることがその一因ではないかと最近痛感することがある。
それは何かというと、ビデオである。
ビデオの無い私の子供時代、子供は週1回のテレビ番組をそれはそれは楽しみにしていたものだ。私の大好きは番組は「おそ松くん」。週に1回だけ30分の放送だったので、その時間がくるとテレビを食い入るように見つめたものだ。そして番組が終わると、あと1週間我慢の子である。
こんな習慣が自然自然に子供たちを辛抱強くしてくれたような気がしてならない。

それに対して我が息子。何のビデオでもいつでも何度でも見れてしまう。真剣に見ているようで、実はいつでも見れるさという甘えがあるに違いない。
その眼差しの真剣さは当時の私には適うまい。

でも良いも悪いも今はこういう時代になってしまった。ビデオは何度でも見れると知ってしまった息子にどう対したらよいのだろうか。もちろん一日に見せる時間はある程度決めていて、それなりに厳しくしているつもりだ。
しかし根本的な部分(ビデオはいつでも何度でも見れる)は変わらない。
どうしたもんかと悩んでいる今日この頃である。