明日は何曜日?2008/03/03 21:12

「幼児は曜日の感覚が無いので一日一日が勝負だ」と以前書いた。
土曜日と日曜日は保育園は休みだということを知っているが、曜日の順番の理解がいまひとつだった。
げつ・か・すい・もく・きん・ど・にち、と口ずさんではいるが、月曜日の次は何曜日かというところまでは頭が回転していなかった。

そんな息子もようやく曜日の感覚が身に付いてきた。
今日は月曜日だけれど明日は何曜日?と聞くと、きちんと火曜日と答えるようになった。
着実に成長しているようである。

あんなこと、こんなこと2008/03/18 22:14

ウチの息子はよく歌を口ずさむのだが、ちょっと気になる歌がある。歌詞がなかなか良いのである。
息子の歌詞は歌う毎に違うのだが、何とか再現すると以下のようになる。
「夏のことです、思い出してごらん、あんなこと、こんなこと、あったでしょう。麦わら帽子で、みんな裸んぼ、お船も見たよ、砂山も」

「夏のことです」の部分が春だったり秋だったりいろいろあるのだが、再現できるのは夏の部分だけだった。
想像するに卒園式用に練習している曲と思われるが、なかなかほろっとする歌詞である。

最後のお船と砂山の組合せがぴんとこないので、どうせ息子が間違って覚えているのだろうと思ったが、調べてみたら正解だった。曲名は「想い出のアルバム」。
息子の歌声で感心するのは、意外と音程がしっかりしている点。少なくとも音痴ではなさそうだ。

以下、「想い出のアルバム」の全歌詞です。

(1) いつのことだか 思い出してごらん
  あんなこと こんなこと あったでしょう
  嬉しかったこと 面白(オモシロ)かったこと
  いつになっても 忘れない

(2) 春のことです 思い出してごらん
  あんなこと こんなこと あったでしょう
  ポカポカお庭で 仲良く遊んだ
  きれいな花も 咲いていた

(3) 夏のことです 思い出してごらん
  あんなこと こんなこと あったでしょう
  麦藁(ムギワラ)帽子で みんな裸んぼ
  お船も見たよ 砂山も

(4) 秋のことです 思い出してごらん
  あんなこと こんなこと あったでしょう
  どんぐり山の ハイキング ラララ
  赤い葉っぱも 飛んでいた

(5) 冬のことです 思い出してごらん
  あんなこと こんなこと あったでしょう
  樅(モミ)の木飾って メリークリスマス
  サンタのおじいさん 笑ってた

(6) 冬のことです 思い出してごらん
  あんなこと こんなこと あったでしょう
  寒い雪の日 暖(アッタ)かい部屋で
  楽しい話 聞きました

(7) 一年中(ヂュウ)を 思い出してごらん
  あんなこと こんなこと あったでしょう
  桃のお花も きれいに咲いて
  もうすぐみんなは 一年生

誘拐2008/03/21 21:15

物騒なタイトルだが、実は私は誘拐されたことがある。まだ3、4歳の頃のことだが、印象が強かったのか、まだかすかに当時の記憶らしきものがある。

こんなことを思い出したのは、朝のワイドショーで大昔の誘拐事件「よしのぶちゃん事件」を取り上げていたからだ。
普段はワイドショーなど見れないが今日は祝日なので、何気なく見ていたのだ。事件が起こったのは今から45年前、昭和38年3月31日。
犯人は身代金30万円を要求し、捜査陣の失態もあり、身代金を手にすることに成功。気の毒なことによしのぶちゃんは死体で発見された。
その後犯人は逮捕されたわけだが、この事件が身代金目的の誘拐事件のはしりになったようだ。

そんなよしのぶちゃん事件の半年くらい前、よしのぶちゃん事件が起きたのと同じ台東区で私は誘拐されていた。
誘拐されたのは私(おそらく3歳半くらい)と姉(私とは1歳半違い)。何かを買ってあげるという見知らぬおじさんの言葉を信じて付いていこうとする私に、姉は心配して一緒に付いていったのだという。
犯人は足でまといと感じたのか私を間もなく上野の森で解放。私は一人取り残されて泣いていたが、親切に声をかけてくれた人に住所を告げたところ、その人は私を家まで送り届けてくれたのだ。
私が帰ってきたことで、連れていったのは全く見知らぬ人であることが判明し、いよいよ警察も本腰で捜索にかかったらしい。
なかなか手がかりがつかめぬうちに夕方になり、関係者のあせりがつのる中、犯人に解放された姉がひょっこりと歩いて帰ってきた。
犯人がどういうつもりで私たちを連れまわしたのかは不明のままだ。単に子供好きだったのか、あるいは。。。

以上が簡単な事件の内容だが、両親はさぞかし心配したことだろう。2人がいなくなってから近くの警察署に駆け込んだが、最初のうちはあまり真剣に取り合ってくれなかったそうだ。
両親に二度と知らない人に付いていってはいけないと叱られたのは言うまでもない。
でも自分としては捜査のためにパトカーに乗れたりしたので、けっこう楽しい想い出として脳裏に残っていたりするのだ。

あれから40年以上の歳月が経ち、私の息子は誘拐された当時の私とだいたい同じ年齢になった。あの頃の私はこんな感じだったのか、と息子をしげしげと見つめてしまう。タイムスリップしたような不思議な感覚である。

当時の私はきちんと住所と電話番号を教え込まれていたようだ。早速息子に住所を覚えさせたが、電話番号はまだ無理のようである。
当時の私の方がおりこうさんだったのかもしれない。w

こどもの国2008/03/22 19:19

住まいの近くの横浜市青葉区の「こどもの国」には何度か行ったが、今度は静岡県裾野市の「こどもの国」に行ってみた。

富士山を眼前に臨む素晴らしい立地で、敷地もメチャクチャに広く、本当にものすごい施設なのだ。こんなすごい施設を誰が作ったのかとパンフレットを見ると、静岡県営と書いてある。採算など考えていたらこんな施設は作れないと納得。

園内のほんの一角で遊んだだけだが、息子はおおはしゃぎで、小山を登り、迷路をさまよい、思う存分駆け回った。息子の生涯で最も運動量の多い一日だったと思う。

園内に体育館のような施設もあり、その中で子供たちがボールで遊んだり、巨大な積み木(正確にいうと、「木」ではなく合成樹脂の柔らかい素材)で遊んだりしている。
積み木遊びが大好きな息子は当然ながら巨大積み木に大喜びだ。
だが、ライバル(他の子供たち)もいっぱいだ。私はのんびりと息子の行動を観察してみた。

息子はまず積み木をいっぱい集める。他の子が遊んでいると近づかないのだが、いなくなると見るやそっと積み木に近づいていき、自分のところにどんどんと運んでくる。そうしてだいぶ集まったところで、家らしきものを作り始める。しかし、今度は他の子が息子が集めた大量の積み木を見つけ、それで遊び始める。
息子は呆然としてそれを見ている。中には積み木を他の場所に持っていってしまう子供もいて息子の積み木は段々と減っていく。息子の表情が段々と悲しげになり、最後は大泣きである。

ちょっと情けないとは思うが、まだ3歳、仕方なかろう。
本などによると、もうそろそろ他の子供たちと一緒に楽しく遊べるようになるらしい。

ひとり遊びの朝2008/03/24 22:23

日々息子の成長を感じているが、最近感じたのはだいぶ一人で遊べるようになった点。

息子は目が覚めるのが早く6時くらいになるともぞもぞとしている。私は5時45分からラジオを聴いていて目が覚めていることが多いのだが、けっして息子と目を合わせないようにしている。目が合うと、もう起きようとうるさいからだ。
一人で起きて遊べばいいと思うのだが、これまでは駄目だった。ところが今日の息子はすくっと布団から立ち上がり、寝室を出てリビングで遊び始めたのだ。
しばらくして息子に聞いてみた。
私「えらいねぇ、ナオミチ。もう一人で遊べるんだ。」
息子「うん、もうナオミチはおにいちゃんだから。」

だいぶ以前から昼間は気が向くと一人でパズルやブロックをするようになっていたが、今回はそれに加え、早朝自分だけが起きているという恐怖にも打ち勝ったようなのだ。

夜一人で寝るのは怖いけれど、朝は明るいから大丈夫というわけだ。
夜の恐怖を克服するのはいつのことなのだろうか。

プチ親離れ2008/03/28 20:26

久しぶりに早めに会社を退社して、保育園に息子を迎えに行った。
公園で遊ぶには遅い時間なので、保育園に隣接している大型書店で遊ぶことにした。書店の子供本コーナーは子供を遊ばせるには最適の場所なのだ。いろいろな絵本があるのはもちろん、最近は音が出る本がいっぱい置いてある。童謡だけでなく電車の音や踏み切りの音など子供心をくすぐるものがいっぱいだ。パズルだってある。
だから、息子が1歳くらいの頃から遊び場として大いに利用している。

だが、息子に付き合っているときりがないので、息子が夢中で遊んでいる隙を見て、私はさっと売り場を移って何か面白い本はないかと店内をぶらぶらとすることにしている。
今日も息子は自分の好きな絵本を見つけ夢中になっているので、例によって私は息子に気づかれないようにして売り場を移って立ち読みだ。いつもならば1分もたたないうちに息子が探しにきて、一緒に遊ぼうとうるさいのだが、今日は5分たっても10分たってもやってこない。
さすがに心配になって子供の本の売り場に戻ってみると、相変わらず息子は絵本に夢中になっているままなのだ。
息子に声をかけてみた。
私「ナオミチはもう一人で遊んでいられるんだね。」
息子「うん、ナオミチはもうおにいちゃんだから。」
私「でも前は一人で遊べなかったよね。なんで前は一人で遊べなかったの?」
息子「前は怖かったの。」

やはり小さな子供にとって、ああいう賑やかな場所は一人でいるのは不安で怖いのだろう。
だが、息子はこの数ヶ月の間にその恐怖を克服したわけだ。

こうした息子の成長ぶりは嬉しい反面、ちょっと寂しい気もする。
オーストラリアについて書かれた本に「オーストラリアでは子供が親離れするのが早いので、親は子供が小さいうちは子供と一緒に過ごす時間をできるだけ長く取ろうとする。」と書いてあった。
ちょっと気が早いような気もするが、その気持ち、今の私にはわかるのである。