父子の花見2007/04/01 10:16

今日から4月。昨日はあいにくの天気だったが、今日(日曜日)は朝から素晴らしい好天で、気温が20度を超えるとの予想。妻はあいにく体調を崩していたので、私が息子を連れて遊びに行くことになった。近くに「こどもの国」があるので、そこに行くことにした。私が小学生のときに遠足で行ったような記憶がかすかにあるので、40年ぶりくらいのこどもの国である。

行ってみると桜がちょうど満開で、すごい人だかりである。駅前のコンビニで弁当を買って、息子と園内の芝生でお花見だ。 花見もあきて芝生に横になってのんびりと行き交う人々を眺めてみた。もちろん多いのは父母の連れられた子供たち。おじいちゃん、おばあちゃんも一緒の家族もけっこう目立つ。そうした中で意外と多いのが、母親だけに連れられた子供たち。シングルマザーが珍しくない世相を映しているのだろうか、それともお父さんは今日も仕事なのだろうか。いやお父さんは家で日頃の疲れを癒しているのかもしれない。

家族サービスという言葉が以前はあまりピンとこなかったが、今この言葉の本当の意味がわかる。子供と遊びに行くのは楽しい反面、かなりの重労働でもあるのだ。でも子供と遊べるのも今のうちだけ。頑張ってサービスしますよ。w

お布団かけてください2007/04/02 23:19

うちの息子は太っているので、すごい暑がりである。夏場になると寝ているときはだいたい額に粒状の汗が光っていたりする。そんな暑がりなので、冬場でもすぐに布団を自分で剥いでしまって、大の字になって腹を出して寝ていたりする。その都度布団をかけてやるわけだが、たまに息子が「おふとん、かけてください。」などと言う。やっぱり寒く感じることもあるのだろう。真夜中に突然息子の「おふとん、かけてください。」という声が聞こえると反射的に目が覚めてしまう。そろそろ自分で布団くらいかけてほしいもんだが、仕方がない。

昨晩も夜中に目が覚めると息子は布団もかけずに大の字になった寝ていた。案の定、寝冷えをしたようで、今朝から鼻水をたらし微熱もある。幼児というのはこのように手間暇のかかる生き物なのである。泣

走れナオミチ2007/04/04 22:39

新しいマンション(4階)はエレベータを降りるとそこから玄関ドアまで約10m、そこから歩道までまた10mくらいある。一緒に出かけるときは私が「直遥、走れー!」と声をかけると、息子もやる気になっててけてけと走り始める。足取りもしっかりしていて、ああ成長したなぁと感じる瞬間である。

しかし、歩道までくるとすぐにベビーカーに乗りたがる。やっぱりまだまだ成長してないなぁ、とがっかりである。w

シャボン玉飛んだ2007/04/08 23:34

1週間ほど前に息子と公園に行ったところ、3人組の幼児が楽しそうにシャボン玉で遊んでいた。息子はえらく興味を持ち、あれやりたい、あれやりたい、とぶつぶつと言っている。私は「そんなにやりたいなら、貸して」って言ってみれば」と突き放す。すると息子はもじもじとしているだけ。そんな息子を見て、シャボン玉で遊んでいた幼児のお父さんがシャボン玉セットを貸してくれた。

さあ、息子よ、やってみろ。ところが息子はうまく吹けないのだ。逆に吸ってしまったりして、どうにもうまくできない。あまり長く借りることもできず結局できずじまい。

それで今日はシャボン玉セットを買ってきて、再チャレンジ。私の指導もあって、ようやくシャボン玉成功。

シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こはれて消えた シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに こはれて消えた 風々吹くな シャボン玉飛ばそ

誰でも知っている童謡「シャボン玉」。作詞野口雨情、作曲中山晋平。雨情の長女が生後わずか7日で亡くなってしまたそうで、この詞は、この悲しい事実がきっかけとなったと言われているそうだ。道理で悲しい曲のわけだ。

息子がシャボン玉を飛ばすのを見て、なにやら感傷的な気持ちになってしまった。

愛情の確認?2007/04/10 23:41

この1週間、息子は風邪気味で少々ご機嫌斜めである。食欲もあまりないし、すぐに怒るのだ。体調がよければ叱りとばしてやりたいところだが、体調が悪いから仕方ないなぁ、とついつい甘く接してしまう。

例によってブロックでながーい電車を作っては、ごとんごとんと声をあげて床の上をすべらせて遊んでいる。だがすぐにブロックが外れてしまう。 すると息子は自分で直そうとせず、「こわれちゃったよぉ。おとうさん、なおして」とせがんでくる。「そんなもん、自分で直せよ。」と私が言っても不機嫌そうに「おとうさんが直すの。」と頑として譲らない。体調も悪いから仕方がないか、と私が直してやることになる。

単なるわがままなのだろうが、深読みすると、親の愛情を確認しているのかも?

父へのあこがれ2007/04/11 23:28

毎日息子と接していて、「息子は俺のことをどう思っているだろうか。」とふと考えることがある。私が何を言っても言うことをきかない我が息子。機嫌がよいとすりよってくるが、機嫌が悪いと「おとさんなんてきらいだ。」と面と向かって言われてしまう。

うーん、父親の威厳なんて言葉があるが、そんなもの過去の遺産であって、現代ではありえないよなあ。そうはいっても少しは息子に「お父さんってすごい」みたいな感情も持ってほしいというのが正直な気持ちである。

そんな気持ちもあって息子にやってみせたのが、ピーナッツの放り投げ食いである。ピーナッツを天井近くまで放り投げ、落ちてきたピーナッツを見事に口でキャッチするという古典的な芸である。やってみたら予想以上に息子に受けたのだ。息子は目を輝かせて拍手までしてくれる。そんなわけで朝食時にはパンでもきゅうりでも放り上げて食べてみせている。そんなときに息子の私を見る目は間違いなくあこがれの目なのだ。w

その日暮らし2007/04/23 22:11

毎日息子と接していて、幼児もたいへんだなぁと同情してしまうことがある。それはまだ幼児は曜日の概念を持っていないという点である。

息子の毎日のスケジュールで一番大きなものは当然ながら保育園。土曜日になって「ナオちゃん、今日は保育園休みだよ。」と言うと怪訝そうな顔をする。もちろん親と一緒にいるのは楽しいのだろうが、月曜日から5日間続けて保育園に通っていて、保育園には毎日行くもんだと慣れてきた頃だ。なぜなんだろうと不思議に感じるようだ。

「土曜日と日曜日は保育園は休みなんだよ。」と教えてあげるが、そんなことまだわかるはずもない。次の日(日曜日)にはそんなこと忘れていて、また「今日は保育園は休みだよ。」と声をかけると、またしても怪訝そうな顔をする。そして、月曜日。2日続けて保育園に行かずに今日も保育園は無しかと思いきや、「今日から保育園だよ。」と言われてしまう。

彼としては今日保育園があるのかないのかは全くわからないわけである。大人だったら、明日は会社があるから早く寝ようとか、明日は日曜日だからのんびりしようとか、いろいろと調整ができるわけだが、幼児はその日その日が勝負である。若い?からこそ耐えられるのか。w